(13) 筑波嶺の 峯より落つる みなの川
恋ぞつもりて 淵となりぬる(陽成院)
(歌意)筑波山の峰から落ちる男女川(みなのがわ)が
一雫の水が溜まって深い淵となるように
私の恋心も積もり積もって深いものとなってしまった。
The Mina stream comes tumbling down
From Mount Tsukuba’s height;
Strong as my love, it leaps into
A pool as black as night
With overwhelming might. THE RETIRED EMPEROR YOZEI
この写真を撮りに行った日は、ちょうど「ダイヤモンド筑波」(山頂より太陽が登る)の日で、大勢のカメラマンが夜中から場所取りをして朝日が出るのを待ち構えていました。
陽成院(陽成天皇)は九歳で即位し十七歳の時に退位を迫られた。犬と猿を戦わせて喜んだり、三種の神器を勝手に出したりと悪行が多かった。後に即位した光孝天皇を妬んだに違いないが、その天皇の皇女に恋をしてしまう。この歌は、その皇女に宛てた恋の歌です。
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(14) 陸奥の しのぶもぢずり 誰故に
みだれ初めにし 我ならなくに(河原左大臣)
(歌意) 陸奥の信夫産の乱れ模様のように
私の心が乱れ始めたのは誰のせいでしょうか。
それは、私のせいではなくて皆あなたのせいなのですよ。
Ah! why does love distract my thoughts,
Disordering my will!
I’m like the pattern on the cloth
Of Michinoku hill,—
All in confusion still.
THE MINISTER-OF-THE-LEFT OF THE
KAWARA (DISTRICT OF KYOTO)
「しのぶもぢ摺り」とは信夫地方(福島県)に伝わる乱れ模様の染色法ということなので、それをイメージした写真です。
河原左大臣(源融)も源氏物語の主人公「光源氏」のモデルの一人とされています。嵯峨天皇の皇子であり、鴨川のほとりに豪邸(河原院)を建て、豪奢な生活を送っていたそうで、彼が陸奥に赴任中、その土地の長者の娘と恋仲になり、都に戻ってから彼女に心変わりをなじられたので、この歌を送ったと言われています。