(44)   逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
     人をも身をも 恨みざらまし(中納言朝忠)

       (歌意)もし逢瀬が全くなかったならば、 かえってあなたのことも
           私自身のことも、恨まないでいるでしょうに。

           To fall in love with womankind
           Is my unlucky fate;
           If only it were otherwise,
           I might appreciate
           Some men, wohm now I hate.   
                        THE IMPERIAL ADVISER ASATADA

手向山八幡宮(奈良市)の石灯籠
苔むした石灯籠の上にイチョウの葉ともみじの葉がすぐ側に落ちているのが、あたかも男女の偶然の出会いかのように思える
                                     
         ※ 
  
(45) 哀れとも いふべき人は おもほえで
     身のいたづらに なりぬべきかな(謙徳公)

      (歌意)貴方に見捨てられた今、私のことを可哀そうだと
          言ってくれるはずの人も思い浮かばないので、
          このまま空しく死んでしまうのかなあ。

          I dare not hope my lady-love
          Will smile on me again;
          She knows no pity, and my life
          I care not to retain,
          Since all my prayers are vain.    PRINCE KENTOKU

                哀れさを感じさせる蓮の枯れた
作者の謙徳公は諡(おくりな)で、本名は藤原伊尹。相手の女性に冷たくされ、逢ってもくれなくなったことに対する嘆きの歌。そのことで人に可哀そうだと思われたいという女々しい歌です。ところが、彼の性格は歌に似合わず、豪快で派手な人だったようです。