(46)  由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え 
      ゆくへも知らぬ 恋の道かな (曾禰好忠)

        (歌意) 由良の瀬戸を通って行く船頭が、
            櫂がなくなり行方も知らずに漂うように
            先のわからぬ私の恋だなあ。

            The fishing-boats are tossed about,
            When stormy winds blow strong;
            With rudder lost, how can they reach
            The port for which they long?
            So runs the old love-song.   YOSHITADA SONE

由良川の河口(京都府宮津市)小舟はハメ込み
舵を失くして漂う小舟の不安感と、先の見えない恋の行方の情景を表現。作者の曽爾好忠は、自信過剰の変わり者だったそうです。歌会に招待もされていないのに現れ、「ここに集まっている方々よりも、私の方が歌の才能がある。どうして私を招待しないのだ」と言ったところ、つまみ出されてしまったそうです。

     


(47)  八重むぐら 茂れる宿の さびしきに
      人こそ見えね 秋は来りけり (恵慶法師)

      (歌意)葎や雑草がはびこっている寂しい住まいに
          誰も訪ねて来る人はいないけど、秋だけは来たのだなあ。

          My little temple stands alone,
          No other hut is near;
          No one will pass to stop and praise
          Its vine-grown roof, I fear,
          Now that the autumn’s here.    THE PRIEST YEGYO


かつては豪邸だった河原院(河原左大臣 源 融の邸宅)は、彼の死後八十年も経つと荒れ果てた寺となっていた。この歌が詠まれた頃は、融の曾孫にあたる安法法師が住んでいて、作者の恵慶法師とは友人関係だったそうです。河原院の荒れ果ててしまったような姿に、秋を象徴する柿の枝を合成し、いつもと変わらぬ秋の風景を表現しました。