(77) 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
       われても末に あはむとぞ思ふ (崇徳院)

         (歌意)川の流れが速いので、岩に堰き止められて
             流れが分かれても後に再び合流するように
             私たちも今は離れていても行く末は再び逢おうと思うのです。

              The rock divides the stream in two,
              And both with might and main
              Go tumbling down the waterfall;
              But well I know the twain
              Will soon unite again.   
                      THE RETIRED EMPEROR SUTOKU

父の鳥羽院からは実子ではないため、幼い頃から父に嫌われ、その上異母弟の近衛天皇に譲位させられる。「保元の乱」では弟の後白河天皇に敗れ、讃岐へ流された。その後、おだやかに讃岐で写経を始め、「朝廷のためにありがたいお経を書き写したので、どうか納めて欲しい」と朝廷に送ったところ、送り返されてしまった。すると崇徳天皇は激怒し、自分の舌を噛み切り、その血でお経に呪いの言葉を書き込み、「わしは大魔王になって天皇家をずっと呪ってやる」と言い、壮絶な姿で亡くなったそうです。この歌は保元の乱以前に詠まれた歌とのことですが、大魔王となって呪いをかけるような人の歌とは思えないですね。

落語 崇徳院のあらすじを原島広至氏著「百人一首今昔散歩」中経出版から引用すると
とある大店の若旦那が恋煩いが高じて虫の息。店に出入りの熊さんが、相手探しを頼まれる。若旦那は神津神社(上野の清水院バージョンもある)で、美しい娘に一目惚れしたのだが、その娘に崇徳院の上の句「瀬を早み岩にせかるる瀧川の」と書かれた紙を渡された。下の句のように「いずれ必ず会いましょう」という意味だ。その娘を見つけたら借家を五軒もらえる上に、三百両の礼金も付けると言われて、熊さん、勇んで湯屋や床屋など人のいる所で「瀬を早み・・・」と叫んで回る。ついにある床屋で、恋煩いで寝込んでしまったお嬢様に頼まれ、相手を探し回る棟梁に出会う。まず先にこっちに来い、いやこちらが先だと揉み合ううちに、床屋の鏡を割ってしまう。そこで熊さん一言。
「割れても末(月末)に買わんとぞ思う」