(84)  ながらへば またこのごろや しのばれむ
    憂しと見し世ぞ 今は恋しき (藤原清輔朝臣)      n

          (歌意)生きながらえるとしたらやはり、今頃のことが懐かしく
              思い出されることだろう。
              辛いと思っていた昔が、今は恋しく思われるのだから。

              Time was when I despised my youth,
              As boyhood only can;
              What would I give for boyhood now,
              When finishing life’s span
              An old decrepid man!
                            THE MINISTER KIYOSUKE FUJIWARA

大台ヶ原ドライブウエイより和歌山方面の山々を望む
藤原清輔朝臣は、七十九番の藤原顕輔の子でありながら父とは仲が悪く、随分辛い思いをしたようです。その頃辛かったことも、今となっては懐かしく思われるのだから、いま苦しんでいることも、時が過ぎれば恋しく思われるのだろうと歌ってます。
山々の重なりを年齢の重なりとみて、過去の辛かった思いをいまや懐かしむ心情を、山々で表現しました。辛い思いは、いじめによる辛さや、片想いによる辛さであっても過ぎてしまえば逃れられるのだろう。

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(85)  夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
      閨のひまさえ つれなかりけり (俊恵法師)

        (歌意)一晩中思い悩んでいるこの頃は、夜もなかなか明けきれないで、
            寝室の隙間までもが光を漏らさず、つれなく思えてきます。 

            All through the never-ending night
            I lie awake and think;
            In vain I look to try and see
            The daybreak’s feeble blink
            Peep through the shutter’s chink.   THE PRIEST SHUN-YE

俊恵法師が男性でありながら、訪ねてこない男性を待ち焦がれる女性の気持ちになって詠んだ歌です。俊恵法師は若くして出家し、奈良の東大寺の僧侶も務めており、また歌人としても活躍。「方丈記」の著者・鴨長明もこの俊恵法師から和歌を学んだそうです。この歌は、一晩中待っても夜が長く、いっそ早く明ければ良いのにと思っていても寝室の隙間は明るくならない。その隙間さえもその男性と同じように冷たく思えると歌っています。朝が来るまで見つめていた戸の隙間は、写真のような隙間ではなかっただろうか。