(82) 思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり (道因法師) o
(歌意)あのつれない人を思い嘆き、
それでも命だけはつないでいるのに、
辛さに耐えきれないのは涙なのだなあ。
How sad and gloomy is the world,
This world of sin and woe!
Ah! while I drift along Life’s stream,
Tossed helpless to and fro,
My tears will ever flow. THE PRIEST DOIN
京都城南宮 桃山の庭
道因法師、藤原敦頼は左馬助(朝廷の馬の管理官)で、ケチで有名だったそうです。そのエピソードの一つに、原島広至氏著「百人一首今昔散歩」中経出版によると・・
「左馬助」の任期が終わった後は大抵、行事に使った装束を部下の馬飼いたちに与えるのが通例だったがそれを敦頼はケチったため、翌年、葵祭で斎宮行列の最中に、かつての部下たちに襲われて服を剥ぎ取られ裸で逃げ帰った。そのため「裸の馬の助」とからかわれたとあります。 ところでこの歌は、命はとどめても、涙はとどめ得ないと、つらい片想いで涙する心情を詠んでいます。写真は、とどめなく降る雨でそれを表現しました。
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(83) 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる (皇太后宮大夫俊成)
(歌意)世の中には辛さから逃れる術などはない。
思いを深くして入った山の奥にも
悲しげに鹿が鳴いているようだ。
皇太后宮大夫俊成、藤原俊成は藤原定家の父で、この歌は二十七歳の時に詠んだそうです。その頃は、戦乱が激しくなり西行などが仏門に入った時期で、本人も出家を考えていたそうですが、出家したとしても救われることはないと思い、そのときに世の無常観を詠んだのがこの歌だそうです。 写真は、山の奥で悲しげな声を発して鳴く鹿の、声が聞こえてきそうな気がして撮りました。