小倉百人一首第三十二番歌・春道列樹が詠んだ歌の「志賀越え」と、第九十五番歌・前大僧正慈円の「比叡山」を訪ねました。
志賀越道(しがごえみち)は、京都の荒神口から、近江に至る街道で、平安時代は京都から大津へ抜ける道は、逢坂の関を越えて大津へ至る道と、この志賀峠を 越えて滋賀里へ至る道があった。そしてこの街道の北白川入り口には、鎌倉時代に作られた石像で、太閤秀吉がたいそう気に入り聚楽第に移すと、夜な夜な「白川へ返せと」と泣き続けるので、早速もとに在った北白川の地に戻されることになったという逸話のある「子安観音」が残っている。また、途中には山中越の旧道に面し、道行く人々の安全を祈って造られた阿弥陀如来の大きな石仏なども在り、訪れる人は多くないが当時の面影を残した風景が所々に在りました。 そして、同時に訪れた比叡山では「文殊楼」の側に前大僧正慈円が修行中に詠んだ歌の石碑が在りました。