(87) 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に
         霧立ちのぼる 秋の夕暮れ(寂蓮法師)

      (歌意)にわか雨が降り、
          その露もまだ乾かない杉や檜などの葉に
          霧が立ち上ってくる秋の夕暮れだなあ。

          The rain, which fell from passing showers,
          Like drops of dew, still lies
          Upon the fir-tree needles, and
          The mists of evening rise
          Up to the autumn skies.    THE PRIEST JAKUREN

写真は、にわか雨が通り過ぎたあと、霧が立ち込めると同時に日が差し始めるという、自然の移り変わりを表現していますが、この写真は歌意に反しています。作者の寂蓮法師、俗名藤原定長が詠んだ「まきの葉」は常緑樹なので、紅葉した風景ではなく、色をおさえた幻想的な水墨画のような風景だそうです。ですが、秋の夕暮れを表現するのは、やはり黄金色かなぁ。

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(88) 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
       みをつくしてや 恋ひわたるべき(皇嘉門院別当)

        (歌意)難波江の葦の刈り根の一節のような短い
            仮初めの一夜を過ごしてしまったせいで、
            澪標ではないが身を尽くして
            一生恋することになるのでしょうか。

         I’ve seen thee but a few short hours;
         As short, they seemed to me,
         As bamboo reeds st Naniwa:
         But tide-stakes in the sea
         Can’t gauge my love for thee.
             AN OFFICIAL OF THE DOWAGER EMPRESS KWOKA
                
作者は崇徳天皇の皇后である皇嘉門院聖子に仕えた女官で、別当と言ったそうです。この歌は、歌合で「旅宿に逢う恋」という題詠で、別当が難波江の遊女の気持ちになって詠んだ歌だそうです。「かりね」は「刈り根」と「仮寝」、「ひとよ」は「一節」と「一夜」、「みおつくし」は「澪標」(舟が航行するための目印になる杭のことで、大阪市の市章になってる)と「身を尽くし」のそれぞれが掛詞となっている。 写真は淀川(守口市)のわんどで撮った写真に澪標と小舟を合成して、当時の難波江を想像して創った創作風景です。