(97) 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ (権中納言定家)
焼くや藻塩の 身もこがれつつ (権中納言定家)
(歌意)待てども来ない人を待つ私は、
松帆の浦の夕凪の時に焼く藻塩のように
身も焦がれる思いでいるのです。
Upon the shore of Matsu-ho
For thee I pine and sigh;
Though calm and cool the evening air,
These salt-pans caked a nd dry
Are not more parched than I!
THE ASSISTANT IMPERIAL ADVISER SADAIYE
この百人一首の撰者、藤原定家の歌です。女性の立場で切ない恋心を詠んでいます。藻塩というのは、海藻に塩水をかけては乾かし、付着した塩を海水で釜に流し、さらに煮詰めて取り出した塩のことだそうです。夕暮れに、いくら待てども来ないあなたを待っていると、夕凪どきに焼かれる藻塩のように、身の焦がれる思いがしますよ。と歌っているのです。「まつ」に「松」と「待つ」を掛け、「こがれる」に「焼けこがれる」と「恋こがれる」を掛けた技巧を尽くした歌です。瀬戸内の海に沈む夕陽の色が、身を焦がす色のイメージと重なります。
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(98) 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける (従二位家隆)
(歌意)風がそよそよと楢の葉に吹いている
この「ならの小川」の夕暮れ時は、
もう秋のように思えるが、
禊の行事だけが夏の証なのだなあ。
The twilight dim, the gentle breeze
By Nara’s little stream,
The splash of worshippers who wash
Before the shrine, all seem
A perfect summer’s dream.
THE OFFICIAL IYETAKA
「ならの小川」は京都・上賀茂神社を流れる御手洗川で、身を清める川です。夕暮れのならの小川はもう秋めいているが、ここで行われる六月祓(みなづきばらえ)だけが夏なのだなあ。と季節の移り変わりを詠んでいます。藤原家隆が七十七歳のときに詠んだ屏風絵の一首で、家隆は七十九歳で四天王寺(大阪)に出家し、その近くに夕陽庵を設けて住んだそうです。その地が今の「夕陽丘」で、当時はそこから難波の海が一望できたそうです。 写真は、秋らしくなった御手洗川の風景に、神聖な場所に使用する注連縄(しめなわ)の紙垂(しで)を入れて、そよぐ風を表現しています。