(95) おほけなく うき世の民に おほうかな
わが立つ杣に 墨染の袖 (前大僧正慈円)
わが立つ杣に 墨染の袖 (前大僧正慈円)
(歌意)我が身に不相応にも、俗世の人々に覆い掛けたいものです。
この比叡山に住み始めたばかりの私の墨染の袖を。
そして人々のために祈ろう。
Unfit to rule this wicked world
With all its pomp and pride,
I’d rather in my plain black robe
A humble priest abide,
Far up the mountain side.
THE FORMER ARCHBISHOP JIYEN
保元・平治の乱で都は乱れ、飢餓や伝染病などで不安な日々を送っている民を、僧として祈り、救いたいものだと詠んでいます。「墨染めの袖」は僧衣のことで僧侶となって修行をする意味だそうです。また、「住み初め」(すみぞめ)を掛けています。この歌は比叡山での修行中に詠んだ歌ですが、写真は二月堂(奈良市)からの風景です。 慈円が都を眺めながら僧衣の袖を覆いかけるようにして祈っている姿をこの地で想像しました。
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(96) 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは 我が身なりけり (入道前太政大臣)
(歌意)桜の花を散らせる嵐の吹く庭の
雪のように降り行くものは花ではなくて、
古り行く、つまり年老いて行く我が身なのです。
This snow is not from blossoms white
Wind-scattered, here and there,
That whiten all my garden paths
And leave the branches bare;
’Tis age that snows my hair!
THE LAY-PRIEST, A FORMER PRIME
MINISTER OF STATE
庭に降り積もった雪のようにみえる桜の落花を見て、満開を過ぎて散りゆく花が、老いていく我が身のようだなあ。と詠んでいます。「ふりゆく」は「降りゆく」と「古りゆく」が掛けられています。 写真は高台寺(京都)の庭の桜ですが、老木がさらに老いた身を表しているような気がします。