みかさの山に 出でし月かも (安倍仲麻呂)
(歌意) 大空を仰いでみると月が出ている。
あの月は、故郷の春日にある三笠の山に出ていた月と同じなのだなあ。
While gazing up into the sky,
My thoughts have wandered far;
Methinks I see the rising moon
Above Mount Mikasa
At far-off Kasuga. NAKAMARO ABE
安倍仲麻呂は、遣唐使として派遣されてから30年を経たのち、帰国の折に暴風で安南(ベトナム)に漂着し、唐に引き返すこととなり、その後、とうとう帰国することなく亡くなったそうです。この歌は、帰国することが決まった時に詠んだ歌で、故郷を懐かしんで詠んだ句です。遣唐使達は、日本を発つ前には御蓋山(春日山)で旅の無事を祈願してから発ったそうなので、仲麻呂が唐で綺麗な月を目にした時、この写真のような風景を思い浮かべたに違いないと思います。
関西では、どら焼きのことを「三笠まんじゅう」とか「三笠焼」というが、このお菓子の側面から見た形が三笠山に似ている、もしくは正面の形が三笠山から出る満月に見えることからと言われている。
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(08) 我が庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうじ山と 人はいふなり(喜撰法師)
(歌意) 私の庵は都の東南にあり、このように心静かに暮らしているのに
世間の人は、私がつらい憂き世から逃れるために
宇治山にこもっていると言ってるそうです。
My home is near the Capital,
My humble cottage bare
Lies south-east on Mount Uji; so
The people all declare
My life’s a ‘Hill of Care’. THE PRIEST KISEN
この歌の「世をうぢ山と」の「うぢ」は、自分が住んでいる「宇治の山(喜撰山)」と「憂し」の掛詞で、「世間の人は憐れに思っているが、そのようなことはないよ」と歌っている。さらに、「しかぞ住む」の部分は「このように」を意味する「然」と「鹿」、「住む」と「澄む」の二重の掛詞だとされている。「このように鹿もいるような所で、澄んだ気持ちで住んでいるよ」といった意味だそうです。